東大卒のプロゲーマー・ときどさんが2018年8月12日に放送された情熱大陸に出演しました。
以前からその強さや異色の経歴から注目されています。
一体、どれほど強いのか戦績を調べます。
実は、公務員試験を受験していたらしいので、プロゲーマーになったいきさつも調べます。
さらにプロゲーマーという新しい職業の年収が気になりますよね。
大会での獲得賞金はいくらのでしょうか?
今回は名前の由来と共に、ときどさんのそのあたりを見ていきます。
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ときどさんのプロフィール
@JINX My favorite T-shirt !! pic.twitter.com/JheyeeZiA6
— ときど (@tokidoki77) 2018年2月15日
- 名前 ときど
- 本名 谷口 一(たにぐち はじめ)
- 生年月日 1985年7月7日
- 出身地 那覇市生まれ横浜育ち
- 血液型 O型
ときどさんにとって格闘ゲームと東大受験は同じ
小学3年生時、年上のいとこの家で遊んだ「バーチャファイター2」というゲームにハマります。
塾に通っていましたが、テストで満点を取ったらゲームソフトを買ってあげると言われ、勉強したそうですよ。
そして、麻布中学校に進学します。
ニンジンをぶら下げられた結果とはいえ、スゴイ効果ですよね。
そして、中学進学後もゲームの熱意は衰えません。
放課後はゲームセンターで上手い人のプレイを研究していました。
すると、「勝てる方式」を発見したそうですよ。
麻布高等学校2年生の時、格闘ゲーム世界大会「EVO(Evolution)2002」に出場。
この時は、日本人10人を含む300人が参加した大会で、ときどさんは優勝します。
その後、一浪の末、東京大学理科Ⅰ類に進学。
ときどさんにとって、格闘ゲームと東大受験は攻略法を見つける点で同じだったそうですよ。
ときどさんはプロゲーマーにならなかったら公務員?
研究者志望だったので、大学ではゲームだけでなく実験にも没頭しています。
東京大学工学部マテリアル工学科に進み、2009年12月には高分子ゲル国際会議でポスター賞を受賞しています。
そして卒業後、東京大学大学院工学系研究科マテリアル工学へ進学。
この大学院進学直前に、梅原大吾さんがプロゲーマーになった事を知ったそうです。
大学院へ進学したときどさんですが、希望の研究室には点数が足りず入れませんでした。
そのため、研究も全然はかどらなかったので、大学院を辞めて地方公務員なろうと受験したそうですよ。
ただ、最終面接が近づいた時、アメリカのアパレル会社からプロゲーマーの勧誘のメールが届きます。
公務員かプロゲーマーか悩んだ末、2010年に大学院を中退してプロゲーマーになりました。
安定した職業か未知の職業の選択ですよ。
かなりの決断だったでしょうね。
ときどさんの名前と由来
「ときど」という名前は、本名の谷口一さんと繋がるものがありませんよね。
名前はどこからきているのでしょうか?
調べるとこれもゲーム絡みでした。
中学生の頃、「ザ・キング・オブ・ファイターズ’98」というゲームで、とんで、キックした後に、どうしたぁと叫ぶ技を使っていたので「ときど」になったそうですよ。
以前のときどさんは「勝てる方式」のプレイスタイルなので、「つまらない」と非難される事もありました。
さらに、その勝つ為の合理的なプレイスタイルを一部では「アイスエイジ」と呼ぶそうです。
もちろん、今ではそのスタイルではありません。
また、「EVO2010」に参加した際、目つきの鋭さから「Murder Face」と実況されています。
当時の目つきの画像が今のツイッターのプロフィール画像のような感じです。
かなり鋭い眼光で、確かに少しコワイですよね。
ただ、それだけ集中していたのでしょう。
ニックネームがこれだけ多いのは注目されている証拠ですよね。
ときどさんの日課はゲームとジム
ときどさんは、毎日最低でも8時間はゲームをしているそうです。
ただ、実際のプレイ時間は半分ほどで、情報整理や議論の時間も含めてのようです。
それ以外は、毎朝ジムで体を動かしています。
プロゲーマーが運動とは意外ですよね。
ときどさんは、格闘技系のゲームで勝つには集中力や瞬発力が必要だと語っています。
そのため、練習の一環として毎週、空手道場と毎日ジムに通うそうです。
通いだしてから、大会中のパフォーマンスが上がったと実感している様子でした。
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