山出谷怜門さんは元有名ヤンキーで画像は?
山出谷怜門さんは中学時代、有名なヤンキーでした。
相方の荒木誠也さんが住む堺市にも名前が知れ渡っていたみたいですよ。
怖いヤンキーだったみたいです
相手が強ければ燃えるタイプだったとか(汗)
ケンカは相手がギブアップしたらそこで終了するスタイルでした。
漫画みたいな世界ですが、実際に漫画「クローズ」の影響を受けていたというのです。
この時代もそんな世界がある事に驚きですね。
当時の画像も気になりますが、今のところは見つかりませんでした。
ただ、どうやら武闘派は健在のようです。
相方がやられていました。
1週間前相方に愛ある拳をいただきました。
1週間でここまで回復しました(^ ^)
みなさん遅刻はあきまへーん!!ww pic.twitter.com/g9uty4sO3A— 荒木 誠也(こゝろ)こころCOCOLO (@masaya_cocolo) 2017年3月8日
生々しい怪我をしていて痛そうです(汗)
堪忍袋の緒が切れたのかもしれませんが、やり過ぎですよね。
元ヤンキー同士のコンビだから成立するのでしょうね。
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山出谷怜門さんの曽祖父さんは名横綱
山出谷怜門さんのひいおじいさんは力士でした。
第32代横綱の「玉錦 三右エ門」(たまにしきさんえもん)さんだそうです。
大正から昭和にかけて活躍していました。
Wikipediaにもページがある横綱です。
山出谷怜門さんと曽祖父さんは目がそっくりです。
朝青龍さんに破られるまで初顔合わせの連勝記録28を持っていました。
記録は大相撲ファン以外は馴染みがありません。
ただ、ファンでなくても知っていることがありました。
横綱土俵入りで足を高く上げる風習を作ったのがこの玉錦さんでした。
出典:YouTube
玉錦さんの土俵入りは美しいと評判だったそうですよ。
一方で性格は激高しやすくケンカっ早かったとか。
ついたあだ名は暴れ馬でした。
このあたりは山出谷怜門さんも血を受け継いだのかもしれませんね。
因みに山出谷怜門さんは中学時代、2つの相撲部屋からスカウトされたそうですよ。
やんちゃぶりを相撲部屋が聞きつけたのでしょうね。
最後に
山出谷怜門さんは中学時代、有名なヤンキーでした。
相方の住む堺市でも名前が知れ渡っていましたが、当時の画像はありませんでした。
曽祖父は横綱・玉錦さんです。
横綱土俵入りで足を高く上げる風習を作った人物でした。